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When you curse someone, you dig your own grave.

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少し気になったことを起点に、書きなぐって見ました。お暇ならどうぞ。

ある日のこと、Aという先輩から職場に顔を出すという連絡が入った。

「楽しみにしています」と返信。

しかしスケジュール的には会って話す時間もないことは明白。そういう状況がお互いにわかっていても、連絡を下さる良い先輩である。

ちょっとややこしいですが、このAという先輩の先輩にあたる人がにいます。(Bさんとします)

私に対し、「Aはよ~」と敬称抜きに何かと話したがる。やや神経質な話ですが、BさんとAさんとの間柄の話ではあっても私にとっては、「Aさん」である。私、A、Bの三者で会ったことはないです。要するに「俺のほうが格上である」ということを言いたいのであろうと思います。

何気ない会話の中に執着心は現れます。

ちなみにAさんは多くの後輩を持っているため、私も単なる後輩の一人に過ぎないです。Aさんは自分にとって後輩であろうと私に説明するときは必ず、「~さん」と紹介し、決して呼び捨てにはしない。俺が教えたという執着心や自分を誇張する姿は見られません。

その先輩が、Aさんの話を持ち出し、私の後輩や同僚に対し「あいつ(へーじ)はAのこと知っているというけれど、Aに聞くとそうでもないって言うんだよ」と嘯いていることを耳に挟んだ。要するに私をサゲて自分がいかに大きいかを表現する手口であると直感しました。ほかにも真意が違うことや個人情報を垂れ流しています。情報をくれた方には、申し訳なかったのですが、「Bさんに対しあまり興味がないから大丈夫ですよ。心配してくれてありがとう」と伝えました。

まあ、人間関係は、プリズム。人に対し好意を持って相対すれば、お互いがより良い人となり、敵意や嫌悪感を持てば、互いに憎み合うことになります。
同じ人間の中にあって、愛する人を持ち、憎む人も同時に持ちえることを考えれば、仕方が無いこと。結果、場所が違うことで人物評価が180度変わることもありえます。

では、誰からも好かれることは最上の価値でしょうか。
誰にでも良い顔をすることが、人間関係の最良の方法でしょうか。

仕事上でぶつかり合うことがあっても、リングの外では、仲が良いというのはありえるかもしれません。
「自分はこういう人間である」ことを主張する、それを理解されるには時間がかかるものでしょう。
時間を飛び越えて好意を感じるのは、相性やタイプというものもあるのでしょう。


平常心を保つことは、様々な執着から開放された状態と考えますと、平常心ではいられない、焦りや敵意を引き出してしまう要素が私にはあるのかもしれません。逆に見下して頂いたほうが私は楽です。相手にもされないからです。
これが敵意に転化したとき、恐ろしいことが転回されます。

異質なものに異常に排除しようとする、または出すぎた杭を払おうとする。。日本人のみならず、人間だれしもが持ちえる感情でしょう。

イジメや攻撃は、子どもたちの中だけで、教室だけで起きているわけではないことを大人は知っています。習い事、学友、同僚、ママ友、ご近所、最近のアジア情勢、そこかしこにある現実を大人は直視しようとはしません。
攻撃性は人間本来の大きな側面であると思います。ある時は集団を乱すものとして、ある時は意のままにならないものを排除する手段として、その攻撃性を正当化し弱者を徹底的に打ちのめそうとします。反面、同じ口で道徳を説く狡猾さを兼ね備えています。

人を呪わば、穴二つ。

できるだけ平常心で観察していくと、やはり穴二つは現実にあるといわざるを得ないので、私は平常心の維持に努めます。標的そのものであったり、かばうことで攻撃の的になろうが私は意向に気にすることがないよう平常心を維持することをお勧めします。冷静に分析し、公的機関の介入を考えるべきか、より大きな力で対抗するべきかは本当に信頼の置ける人と一緒に考えましょう。

そして趣味をはじめ、大いに人生を楽しみましょう。
あなたが生きている世界は、あなたが思うほど狭くはないです。好きなことを見つけ、思い切り楽しみましょう。
同じ泥にまみれて生きるならば、大好きなことを思う存分楽しむ汗で泥んこになりましょうよ。






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[ 2014/10/05 20:39 ] My Photo | TB(0) | CM(0)

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