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このところ、過去に撮影したRAW現像を見返しながら現像を楽しんでいます。
行き過ぎた色合いや技術不足はご愛嬌。
インターネットは面白いものです。様々な足跡が残り、その人がどこでアクセスしているかもわかります。
?私、昼行灯といいたいところですが、まさにラ・フランスというべきところでしょうか。
その心は、用なしですw



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なんとなく梅雨という言葉を調べてみました。
子どものころ、梅干しは母が漬けていました。しょっぱい梅は苦手でしたが漬けた梅酢で握ってくれた、ほんのりピンク色のおにぎりは、おふくろの味として記憶の彼方に残っています。時代背景のせいもあるでしょう、母は、糠漬けや梅酒など作っており、それらを食べるのが楽しみでした。子どものころは、それらの手作りが当たり前で、それを維持管理する手間や楽しみを知らずに、食するだけの子どもでした。
「老人性痴呆症」
いよいよ、親の介護の問題も出始めています。
力強く、知識をたくさんもった父親にあこがれた子ども時代。
関西の婦人らしくたくましく、どのような経済状況があろうとも、健やかに育ててくれた母親。
小さかった頃の記憶を思い出すとともに、自分の行く末がさほど遠い未来にあるものではないとも感じます。
消え行く文化、新たに生まれ行く時代の流れ。。ほんのわずかなきらめきを残して人は一生を繰り返してゆくのでしょう。
「生生流転」
お寺を眺めてその美しさ、景観を楽しむもよし、仏教の達観した生死観に触れ、遠大な英知に思いを馳せるのも良いでしょう。
時間は有限であること、自分は小さな人間であることを自覚して、日々を問うて生きてゆくことでしょう。。
クラブツーリズム
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キャンプに行くと、必ず焚き火をしていました。
揺らめく炎を見つめながら、いつしか無心になっていく自分がいます。
子供のころは、家のごみを焼く焼却炉があり、私の仕事でした。
最近では、いつしか焼却炉もなくなりましたね。
危険なこと、害あることが消えてゆくことは仕方がありません。
一方で痛いこと、熱いこと、されて嫌なことを知らない人間が増えてゆくことには、やや危惧を覚えます。
親という字は、木に立って、見るという字でできています。



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この夕日の向こうに、私が愛してやまない町があります。
勝手な夢想を押し付けているだけかもしれません。
それでもいいです。
私はかつて、そこで深呼吸し、癒され、そこからまた再び、明日もがんばろうと思えました。
勝ち続けることは難しいです。しかし負け続けることも同じ。
いつか前に進み続けて良かったと思える人生であるように、歩み続けてゆきます。
みなさんに幸せな一日が訪れますように。。。

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うずうず。。
また再び、大きな大きな自然に身をゆだね、大きく広がる青空、どんよりとした曇り空でも、嵐や濃霧でさえも大自然の動きとともに時間をすごしたいものです。
自分の所在地や勤務地から離れれば離れるほどに、人はリラックスできるらしいです。
自分のホシを見失わずに、また時にはすべてを忘れて。。。
なじんだ土地を、なじんだ水をたまに変えてみると良いと思うのです。
それを旅というのでしょうか。





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